Masuk社の奥から現れた怪物──
それは紅葉の葉と枝が人の形を模したものだった。 数えきれぬ顔がその表皮から浮かび上がり、呻き、泣き、笑い、祈り続けている。 祐真の心臓が握り潰されるように軋んだ。 「……これが、森の主」 頬の印が焼ける。 紅葉の怪物の眼窩にあたる影が、ゆっくりと祐真を見下ろした。 ──おまえも、還れ。 ──ひとりでは寂しかろう。 囁きが頭蓋を直接叩いた。 視界が白く揺れ、気づけば祐真はどこか見知らぬ場所に立っていた。 それは町の景色。 夕暮れの商店街、遠くに笑い声が響く。 振り返ると、そこに──くれはが立っていた。 「祐真さん……」社の奥から現れた怪物── それは紅葉の葉と枝が人の形を模したものだった。 数えきれぬ顔がその表皮から浮かび上がり、呻き、泣き、笑い、祈り続けている。 祐真の心臓が握り潰されるように軋んだ。 「……これが、森の主」 頬の印が焼ける。 紅葉の怪物の眼窩にあたる影が、ゆっくりと祐真を見下ろした。 ──おまえも、還れ。 ──ひとりでは寂しかろう。 囁きが頭蓋を直接叩いた。 視界が白く揺れ、気づけば祐真はどこか見知らぬ場所に立っていた。 それは町の景色。 夕暮れの商店街、遠くに笑い声が響く。 振り返ると、そこに──くれはが立っていた。 「祐真さん……」 彼女は微笑んでいた。 血の気のない顔に、異様なほど穏やかな笑みを浮かべて。 「もう帰りましょう。ここなら安全です。誰も傷つけないし、誰も失わない」 祐真の胸が揺れた。 (……もし、本当にここで暮らせるなら……) だが、足元に広がる地面が不意に赤く染まった。 紅葉が地を覆い、その下から無数の手が伸びてくる。 「いっしょに」「あそぼう」「帰ってこい」 くれはの顔がひずんだ。 微笑みは裂け、眼窩は黒く沈む。 その口から紅葉の葉が噴き出し、祐真の頬の印に吸い込まれていく。 「──っ!」 祐真は銃を抜いた。 だが引き金を引くより早く、幻影は溶けるように崩れ去った。
紅葉で敷き詰められた道を進むと、森は次第に狭まり、やがて一つの空間へと開けた。 そこには、古びた社が佇んでいた。 苔むした石段、黒ずんだ鳥居。 屋根は半ば崩れ落ち、しかし赤い葉に覆われて、異様なほど荘厳に見える。 祐真の頬の印が、じりじりと焼けるように熱を帯びた。 まるで社そのものが、彼を歓迎しているかのようだった。 鳥居をくぐった瞬間、空気が一変した。 冷たい風が吹き、祐真の懐中電灯は一瞬、明滅する。 気配──。 祐真は銃を構えた。 ざわ、と社の周囲の紅葉が揺れる。 次の瞬間、木々の影から無数の人影が現れた。 子ども、若い娘、壮年の男。 着ている衣服は時代も姿もばらばらだが、誰もが瞳を失い、虚ろに祐真を見つめていた。 皮膚は透け、身体の輪郭は紅葉に溶けかけている。 (……これが、過去の犠牲者たちか) 最前に立っていたのは、三歳ほどの幼子だった。 紅葉の枝を握りしめ、首をかしげる。 「いっしょに、あそぼ」 祐真の胸が締め付けられた。 「……橘、美桜……」 名を呼んだ瞬間、幼子は微笑み、しかし口から紅葉の葉を吐き出した。 それは虫の羽音に変わり、祐真の耳をつんざく。 次々と亡霊たちが声を合わせる。 「ここに残れ」 「おまえも、還れ」 「赤い森の中で、いっしょに……」 祐真は必死に声を振り払った。
森の奥へ進むにつれ、祐真の足取りは重くなった。 まるで地面そのものが彼の体を引きずり込もうとしているかのようだ。 耳の奥には囁きが絶え間なく響いている。 ──いっしょに。 ──還ろう。 だが、その声の中に混じって、別の音が聞こえ始めた。 笛と太鼓の音。 華やかでありながら、どこか不吉な祭囃子。 気づけば、森の中は灯りで満ちていた。 赤い提灯が枝から吊り下げられ、無数の人影が笑いさざめいている。 それは間違いなく、秋祭りの光景だった。 祐真は息を呑んだ。 (これは……幻覚か? それとも……) 人々の服装は古めかしい。昭和初期のような装束もあれば、もっと昔の時代のものもある。 だが、誰一人として祐真に気づかない。 彼らは一心に、境内のような広場へと向かって歩いていく。 祐真も吸い寄せられるように足を運んだ。 広場の中央には、大きな石の台座があった。 その上に立たされているのは──幼い少女。 白い着物をまとい、頭には紅葉の枝が差されている。 怯えた瞳で周囲を見回していた。 (……生贄) 祐真の背筋に冷たいものが走る。 笛や太鼓が高鳴り、人々の口から一斉に祝詞のような声が溢れ出す。 その言葉は意味を成さない。 だが耳に届くたびに、祐真の頬の印が熱を帯びた。 「やめろ……!」 祐真は声を上げた。だが誰も振り向かない。 祭りの最高潮、太鼓が大きく鳴り響いた瞬間──少女
夜、町は静まり返っていた。 交番の机に広げた地図の上で、祐真は指を動かす。 赤鉛筆で囲ったのは、くれはが消えたとされる森の一帯──「楓の森」。 頬に残る赤い印は、もう細い筋ではなかった。 枝のように複雑に広がり、まるで樹木が皮膚の下から生えてくるようだ。 鏡を見るたび、吐き気を覚えた。 (放っておけば、俺自身が“森に還る”……) だが、そんなことよりも先に──くれはを救わなければ。 翌朝、祐真は再び橘家を訪れた。 春香は玄関先に立ち尽くしていた。 痩せた肩は夜通し泣き明かしたように震えている。 「……刑事さん」 春香は祐真の頬の傷を見て、息を呑んだ。 「やはり、森に選ばれてしまったのですね」 「俺はまだ、囚われちゃいない」 祐真は力強く言った。 「必ず、くれはを連れ戻します」 春香はかすかに微笑んだ。 それは祈りとも諦めともつかない表情だった。 「くれはを見つけても……もし人でなくなっていたら、そのときは──」 祐真はその続きを聞かず、頭を振った。 「そんな可能性は考えない。俺が必ず助ける」 日が沈む頃。 祐真は拳銃と懐中電灯を手に、森の入り口に立った。 紅葉の木々はざわめき、風もないのに葉が舞っていた。 境界を越える一歩手前で、背筋を冷たい汗が流れる。 ──来い。 ──もっと奥へ。 囁きが耳の奥に直接響く。
翌朝。 町の外れにある小さな神社の鳥居をくぐると、冷えた空気が頬を撫でた。 境内の奥には大きな楓の木が立っており、葉はすでに真紅に染まっている。 祐真は思わず足を止めた。 その紅葉は、不気味なほど鮮やかだった。 まるで血を吸って紅くなったかのように──。 社務所の縁側に座っていたのは、白髪の宮司だった。 年齢は七十を越えているだろう。深い皺を刻んだ顔には、何かを知っている者特有の静けさがあった。 「一ノ瀬刑事。……来ると思っていました」 祐真は驚いた。名を告げてもいないのに。 宮司は静かに湯呑を差し出した。 「森の声を聞いたでしょう。あれは“楓の社”の呼び声です」 「呼び声……?」 「この町の楓の森は、古くから“捧げの森”と呼ばれてきました。秋祭りは本来、森へ生け贄を捧げる儀式だったのです」 祐真の胸に冷たいものが落ちる。 宮司は続けた。 「二十年ごとに、森は“娘”を求める。 かつては村人たちが孤児やよそ者を差し出した。 だが明治以降、儀式は途絶え……森は代わりに、血筋を選ぶようになったのです」 「……橘の家、ですか」 祐真の言葉に、宮司はゆっくり頷いた。 「橘家は、この社に仕えてきた家系。 森と血の契りを交わした一族なのです。 だからこそ、森は彼らの娘を求める」 祐真の背筋に氷の刃が走った。 ──呪いは偶然ではなく、血に刻まれた宿命。 祐真は唇を
夜明け前の空はまだ群青色を残していた。 祐真は交番の窓を開け放ち、外の冷たい空気を吸い込んだ。 胸の奥に、昨日から貼りついた不快なざわめきがある。 机の引き出しにしまった赤い葉──それは朝になっても、かすかに湿り気を帯びていた。 「呼ばれてる……」 春香の声が脳裏に響く。祐真は額を押さえ、首を振った。 迷信じゃない。だが、論理で説明できるものでもない。 午前、祐真は町の図書館を訪ねた。 資料室に入り、地元史の棚を漁っていると、背後から声をかけられた。 「刑事さん……また余計なものを探してる」 そこに立っていたのは、司書の老人だった。 痩せた背筋は曲がり、眼鏡の奥で小さな目が細められている。 「橘の家に関わるな」 いきなりそう告げられ、祐真は眉をひそめた。 「なぜです?」 「……あの家は、森に選ばれたんだ。代々、女の子が……」 老人はそこで言葉を濁した。 祐真は思わず問い詰める。 「20年前の失踪も、今回の件も、森と橘家に関係があると?」 「口に出すな!」 老人の声は図書室に不釣り合いなほど鋭かった。 周囲の誰もいない本棚の影。 その一瞬、窓の外の木立がざわめき、紅い葉がひらひらと舞い込んできた。 老人は顔を青ざめさせ、祐真の胸ぐらを掴んだ。 「呼ばれるぞ。あんたもな……!」 その眼に浮かんだのは狂気か、それとも純然たる恐怖か。 夕方。 祐真は橘家を再び訪れた。 春香は仏壇の前